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興味をもってきたものごとアレコレの記録

この世界は一つでもこの世界の見え方は一つではない

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長女が送ってくれた,孫のオンラインアルバムを書籍化したもの


去年の9月に生まれた孫には今年3月に1回会ったっきりなんだけど,長女夫婦がオンラインアルバムに毎日のように写真だとか動画だとかをアップロードしてくれていて,私は毎日それを見ながら生活しているので,もう何度も何度も孫に会っているように気がしているし,一緒に過ごしてもいないのに一緒に過ごした思い出みたいな錯覚みたいな何かが記憶の中に積み重なりはじめているし,車で15分くらいのところに長女達が暮らしていてちょいとひとっ走り会いに行ってくるか長女の好きな梅味のお菓子でもどっさり買って行っていう気になって,待て待て会いに行くとなると飛行機の予約が必要だぞっていうことに気付いて思いとどまる,っていうようなのを繰り返しています最近の私は.

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オンラインアルバムに次々と追加されていく写真は長女夫婦が撮影したものになっていて,それは長女夫婦から見える世界を切り取ったものになっています.しかし,そこに写っている孫はというと,この世界を異なる角度と異なるパースペクティブで切り取った視野の中で毎日を過ごしていることでしょう.手を伸ばしても届かない照明器具とか,そびえ立つクローゼットの扉とか,一日に何度もおでこにchu!してくれるママとか,ママとは違ったやり方で抱き上げたり振りまわしたりしてくれるパパとか,お腹が空いて不機嫌になると登場する温かいミルクボトルとか,きっとそういうのが孫の見ている世界でしょう.

私達は同じ世界の同じ場所で同じ時間を過ごしていても,ぜんぜん違った景色を見ているのです.

長女にしろ次女にしろ,一緒に過ごした日々の楽しい思い出の光景を私はいくつもいくつも思い出せるけれども,きっと同じ場所で同じ時間を過ごしていたときでも,長女や次女が見ていた光景は,私の見ていた光景とはぜんぜん違ったものだったことでしょう.どんな世界だったんだろう?

私は自分自身が幼かった頃のこともいろいろと覚えているけれども,そのときに私のそばにいた両親は,私の記憶にあるものとはずいぶんと異なった光景を見ていたことでしょう.どんな世界だったんだろう?

そんなふうに最近の私は,いろいろな人々の立場と時代を入れ替えて視野を想像して対比させてみる,っていうのをやっています.カードゲームであのカードとこのカードを並べて,そのカードとあっちのカードを入れ替えて,っていう調子に.

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幼い頃から私はこの世界の形が真球だとイメージしていました.そこには喜びとか悲しみとか愛とか嘆きとか信頼とか裏切りとか,ルシャトリエの原理とか分子生物学セントラルドグマとか,大人になるまでダメなアレとか,ホントはいけないソレとか,人生で出会うものから出会わないものまでのありとあらゆる要素が詰まっていて,そういうアレコレに絡んだり引っかかったりしながら私の人生もそこに押し込まれていて,他の人々の人生も押し込まれている,というようなものをイメージしていました.

今の私はこの世界が複雑な形をした多面体だと考えていて,一つ一つの面が一人一人の人生に割り当てられているって考えています.ひょいと気軽に隣の面に行くなんていうことはできない仕組みになっているんだけど,仮にそれができたとすると,座標軸は傾き縮尺は変わり,カラーバランスも気温も風向きも違っていて,ぜんぜん違った世界に見えることでしょう.でも,そこで生まれて人生を送っている人にとっては,それが普通の世界なのです.

みんなの力を合わせて計画的に何かを建設しようっていう崇高な理念が挫折するのが珍しくないのとか,さぁみなさんご一緒にみたいなのもなんかうまく行かなくなっちゃうのとかは,みんなが同じ世界に暮らしているのだから同じ光景を見ているはずだ,なんて考えているけれども実際はぜんぜん違う景色を見て生きているからなんだって私は考えています.そもそもムリなんだよそういうのは.

とはいえ,一方で,人生においては信頼とか相思相愛といった関係が成立する人々とか,そういう関係を築いて行きたいと心から願える人々とかにも出会えるわけで,それはとても偶然の幸運なのだと私は考えています.そういう人々との関係を大切にして育てて行くことが,人生を良いものにして行くためにはとても大切だし欠かせないことだと私は考えています.

というようなことを考えるようになったのはこの人生に孫が登場してからのことなので,このことはぜひとも孫に伝えたいところなんだけど,今ダッシュして孫に会いに行ったところで「うぎゃぁ」で話にならないだろうから,こういう話が通じる年齢に孫がなるまで,そうだな,今の長女と同じくらいの年齢になるまで待つことにします.

もっとも,それまで待ったからって話が通じる保証はないんだけどね.ほら,さっき書いたとおり,この世界ではみんながぜんぜん違う景色を見て生きているわけだから.

だからこそ,わかってくれたらとても嬉しいよベイビー(※ベイビーは孫).