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イン・マイ・ライフ (3) 愛は見返りを求めない

長女が大学院を修了して就職しました.私は長女に対する父親業務To Doリストをクリアしました.もう残りの人生で長女に貢献する機会もないでしょう.

これから先,長女は仕事を通じて社会とか人間とか文化とか経済とかイロイロなものごとを理解して行く喜びを知って行くことになるだろうし,良きパートナーと共に幸福な家庭を作り始めるのかもしれないし,子供が生まれたりするとまたそれはそれでタイヘンな毎日になったりして,そのうちに海外に移住なんていうこともあるかもしれないし,そうなってくるともう私のことを思い出すことなどなくなってしまうのかもしれません.

数年遅れで次女についても同じ状況になることでしょう.

長女にしろ次女にしろ,今に集中して未来を築く,を繰り返しているうちに,私に対する認識は人生の初期の段階で時間と空間を共有していただけの存在となり,私は「過去の人々」というカテゴリーに押し込まれて行くのかもしれません.2人とも,これまでよりもこれからのほうが人生は長いので,何倍も長いので,そうなるのが自然かもしれません.いいよ,それで.きみたちの人生だ.

さて,そうなったとき,私は今と同じように娘2人を愛し続けているのでしょうか?

私は愛し続けていると予測しています.たぶん今と変わらずに.いや,それ以上に.きみたち2人に対しては In my life I'll love you more.きみたちが40才になったら40本ロウソクを立てたケーキを持って押しかけ,「20才の時の2倍愛しているよ!」ってやるからね! ホントにやるからね! どうやって40本立てるのか,配置を今から考えているんだからね!

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長女,2014年夏,20才.

娘を育てる日々は花を育てる日々に似ていました.

植木鉢に球根を植え,日当たりの良い場所に置き,水をやり,肥料をやります.雑草が生えてくれば抜き取り,台風が近づけば軒下に移してやり,毎日を過ごします.

犬や猫のようになついてくることもなければ,何かの方法で好意や感謝を伝えてくることもないし,そもそも芽が出るとは限らないし,芽が出ても花が咲かないかもしれません.

それでも私は失望したり,文句を言ったり,腹を立てて植木鉢を蹴飛ばしてひっくり返したりはしません.球根を植えてから過ごしてきた日々を否定するようなことはしません.何かの見返りを求めてはいません.

2人の娘を育てる日々を通じて,今の私の人格であるとか人間性であるとか価値観であるとかが構築されてきました.もしも私の中に少しでも利他的な要素であるとか,ポジティブにものごとをとらえる思考とか,未来に希望を抱く姿勢であるとかが存在するとしたら,それは生まれたときから私に備わっていたものではなく,2人の娘を育て,愛する日々から私が獲得してきたものです.そうして構築されてきた人格や人間性の上に,これからも私は私自身の未来を建設して行くのです.

私にとって娘を愛することは,人生を表現する一つの手段です.だから私は,この先に仮に娘が私のことを忘れてしまう日が来ても,やはりこの人生を通じて娘を愛し続けるのです.

この世界には様々な愛があります.その中で最も尊い愛は,見返りを求めない愛だと私は考えます.そういう愛がこの世界に本当に存在するのか,存在するとして,それを私が一度限りのこの人生において抱くことができるのか,人生最後の一日,私は私だけが知ることのできるその答えを知ることになります.

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次女,2018年秋,19才.ポール・マッカートニーのコンサートに行く前.親子でポール・マッカートニーのTシャツを着ているよ.

ここに続く

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