「年頃の娘をもつ父親にしかわからない,片想いの恋と似ているようで似ていない感覚っていうものがある」っていうことを,ずうっとずうっとずうっと前に聞いたことがあります.いつどこで誰にきいたのか思い出せないけど.
それまでにもホームステイとか,中学校の修学旅行とか,新入生合宿とか,イロイロなイベントで長女が留守にすることはあったのですが,この時は特別に寂しく感じたことを覚えています.
ある夜は長女が無事に帰ってくるか心配で眠れず,またある夜は眠れたものの長女が夢に出てきて目が醒めて眠れず,さらにまたある夜は長女が永遠に帰ってこなかったらどんなに寂しいものだろうと考えて眠れず,そんな調子で眠りの浅い日が続いているうちにアタマがヘンになってきて,実は長女は私の想像力が産み出した架空の存在であって,翌朝 目覚めると長女のいない世界になっているのではないだろうか,などということまで考えはじめて不安になり,Macを起動して,写真フォルダをあさって,長女といっしょに写っている写真を探して,長女が実在する人物であることを確認して,安心して寝る,なんていう調子でした.
なんかもう講義やっててもどうでもよくなってくるし(ちゃんとやったけど),実験やっててもどうでもよくなってくるし(ちゃんとやったけど),そんな調子だったので,長女が帰って来た日には,無事を祝うと同時に,長女の留守中に続いた眠れない夜についても ぜんぶ説明しました.
長女にしてみれば,私がなんかワケわかんないことを言ってるなーって思ったかもしれませんが,たぶんそう思ったに違いないのですが,私の長女は優しいのでそんなことは言わず,笑いながら面白そうに私の話をきいてくれて,それからは二人で食事に行ったり,イベントに行ったり,服を買いに行ったりっていう機会が増えてきて現在に至ります.
この時期に私が思い出したのは,いつどこで誰にきいたのか忘れちゃったけど,「年頃の娘をもつ父親にしかわからない,片想いの恋と似ているようで似ていない感覚っていうものがある」っていうものです.あーコレがソレなのかなーって思いました.
長女ってこんなにかわいかったっけ? たぶん長女の人生で今がかわいいピークなんだろうなー,なんてことを考えたのでした.17才の天使というか悪魔というか.
いま長女は23才です.長女がいないときも,眠りの浅い夜を過ごすことはなくなりました.私の愛情が冷めたとか,長女がかわいくなくなったとかではなく,私の感覚が慣れたというか,免疫ができたというか,適応したというか,そんな状況です.あんなのがいつまでも続いたら人生も生活も成り立たないし.
17才のときのアレは,ピークではなかった.
23才の長女に対しては,長女が17才だった頃以上に愛しているし,かわいいと感じるし,たぶん長女が24才,25才と歳を重ねて行っても,これは同じなのだろうと推測しています.
次女についても同様です.
「年頃の娘をもつ父親にしかわからない,片想いの恋と似ているようで似ていない感覚」っていうのは,たぶん「年頃」じゃなくても成り立ちます.
コレ,今後もそうなのかな?
人生を通じて年齢差が固定されてるから,きっと今後もそうだよ.
きみたち ふたりに対しては きっとこれからも In my life I'll love you more.
ホントかな?
たとえば,何年も先,年老いた私は,50才になった娘に,「17才の頃から変わらずかわいい」って感じるのでしょうか?
60才になった娘に,「成人式の日と同じくらい愛している」って言っているのでしょうか?
これは,今の私には全く想像のできない状況です.
これから先,娘に対する感覚が鈍くなって行って何も感じなくなる日が来るのかもしれないし,そのようなことはなく,何才になっても娘のことをかわいいと感じているのかもしれないし,いま愛情の一種として理解しているこの感覚が,私の中で相転移というか,熟成というか,そんな感じの過程を経て別の感覚に変化して行くのかもしれないし,どうなるのかは,私自身が自分の人生で確かめないことにはわかりません.
そういうわけで私には未来がとても楽しみです.
2人の娘がどのような人生を進んで行くことになるのかを見たいし,その2人に対して私自身が抱く感覚がどのようなものなのか,どのようなものになって行くのか,それを知りたいからです.