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興味をもってきたものごとアレコレの記録

一人っ子にはきょうだいのいる人々の世界は理解できない・一人っ子の世界は一人っ子にしか理解できない

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1975年,小学校入学前の家族写真.
一人っ子として生まれ,一人っ子として育ち,一人っ子としての毎日を過ごしてきた結果,

  • きょうだいがいる人々の世界を,一人っ子には理解できない
  • 一人っ子の世界は,一人っ子にしか理解できない(弟や妹が生まれる前の記憶がしっかりしている長男や長女には理解できるかもしれない)

っていう結論に達して毎日を送っています.

テレパシーみたいな何か

娘2人と同時に雑談をしているとき,ちょっと話が噛み合わなくなる瞬間があります.
「あ,今,ちょっと噛み合わなかったよね?」
「うん」
「うん」
「でも,君たち二人の間では,通じ合ってるんだよね?」
「うん」
「うん」
「言葉にしなくても通じ合える何か,があるんだよね?」
「うん」
「うん」
「それって何だろー? テレパシーみたいなものなのかな?」
「なんだろー」
「なんだろー」

表情とか,仕草とか,言葉の抑揚とか,そういうものごとのわずかな変化を読み取り合って,2人はコミュニケーションしているのではないだろうか,と私は推測していますが,本当のところはわかりません.

この2人にもわかっていないでしょう.

テレパシーみたいな何か,に使われている周波数は,私の受信機のカバーする周波数帯をハズれたところにある,とか,変調方式に互換性がないから私には読み取ることができないとか,そんな感じに私は理解しています*1

私には3才年上の女のイトコがいて,そこには男女のフタゴがいて,ときどき我が家に遊びに来ます(いま小学生).

この2人もテレパシーみたいな何かでコミュニケーションできているみたいで,言葉を交わすことなく,互いの意思疎通ができているように見えます.

「不思議よねー,言葉にしなくても,わかりあえるんだよ,あの2人」
「なんだろ,テレパシーみたいな何かがあるのかなー」
「そうかもね.フタゴだからかなー」
「うーん,きょうだいだからなのかも.うちの2人も,通じ合える何かがあるみたいだよ」
「ホントに!? 私たちにはわかんない世界だよね」
「そうだね」

このイトコも一人っ子.

一人っ子はレアキャラだった

私の世代では,一人っ子は珍しい存在でした.

同年齢層からも,親の年齢層からも珍しがられました.親の世代なんて4人とか6人とかいるのが普通だったわけだし.

っていうわけで,珍しい存在だった私は,一人っ子であることについて,何度も何度も何度も何度も同じ質問を受けてきました.

それはもう,何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

(イトコもそうだったらしい)

そんなとき,一人っ子の私はどのように対応してきたのか,どんなことを考えていたのか,この機会に記しておくことにします.

一人っ子FAQ

一人っ子の世界その1:寂しくはない

「一人っ子って,寂しくない?」
「え? 寂しくないよ」
大人も子供もコレを聞いてきました.

子供の頃には説明能力が足りず上手に説明できなかったのですが,大人になった今,こんな風に説明することができます.

きょうだいがいる人々は,毎日毎日,それなりに賑やかだったり,騒がしかったり,年令の近い相手とアレコレとコミュニケーションしたり,っていう毎日を過ごしていることでしょう.

そういう人々には,その状態が基準状態になっていて,その基準状態から きょうだいが消えてしまった状態が一人っ子の毎日なのだ,と考えているのだろう,っていうのが私の推測です.

つまり,きょうだいが「いなくなる変化」を寂しいと理解しているのであって,これは,きょうだいが「もともといない状況」とは違うものです.

「変化」と「ずっと続いている状況」が同一視されているので,「一人っ子は寂しいだろう」とか「一人っ子は寂しいに違いない」になっちゃうのでしょう.

っていうのは,長男や長女で,年の離れた弟や妹がいるっていう人々に,一人っ子時代について思い出してもらうとわかります.

「あの頃は寂しかった」っていう答えが返ってきたことは,私の人生では,一度もありません.

小さな頃のことなので覚えていない可能性もあるけどね.

一人っ子の世界その2:きょうだいは欲しくない

「そろそろ弟ちゃんや妹ちゃんが欲しいんじゃないの〜?」
「え? そんなこと,ないよ」
「あら〜,それじゃ,お兄ちゃんや お姉ちゃんが欲しかったのかな〜?」
「え? 欲しくないよ」

コレは父や母といっしょに歩いているときにばったり会った大人が言ってくるセリフで,私には不愉快だし,私の親にも不愉快だし,正直,迷惑でした.ほっといてくれよあんたの人生には関係ないだろ.

きょうだいがいる人々には,きょうだいがいることが「ふつー」であって,そうではない人々,つまり一人っ子も,「ふつー」になることを願っているはずだ,という決めつけなんだろう,と,私は推測しています.

一人っ子の世界その3:きょうだいがいる状況は想像できない

「もしもきょうだいがいるとしたら,お兄ちゃんがいい? お姉ちゃんがいい? それとも弟? 妹?」
「え? わかんないなー,そういうのは」

コレは年令が近い人々からの質問 #あるある でした.

すでにきょうだいがいる人々にとって,きょうだいどうしの関係を元に,立場を入れ換えて想像してみることは難しくないかもしれません.

  • 自分を含めたきょうだいの合計人数
  • それぞれの性別
  • それぞれの年令

の3変数をアレコレと変えて想像してみればよいからです.

一人っ子の場合にはコレが不可能です.だから,「もしもきょうだいがいるとしたら〜」には,答えようがないのです.

っていうことを親に言ったところ,「それじゃ『お兄ちゃんがほしかった』っていう設定にしておきなさい」って言われたことがあり,試しにソレをやってみたことがあるのですが,「なんでお兄ちゃんなの?」みたいなことをつっこまれて答えられず,困ったことがあります.ウソは良くない.

そんな一人っ子が2人の子供の父親になった

そういうわけで,私には,きょうのだいのいる世界を理解できない状態が現在まで続いているのですが,その一方でこの人生で私は,2人の娘の父親をやっています.長女は23才,次女は18才です.

それでも私が一人っ子であることに変わりはありません.互いにきょうだいの関係にある2人の娘と人生の一時期を一緒に過ごしているだけで,私きょうだいができたわけではありません.

どうやって2人の相手をするのか

次女が生まれる日が近づいた頃,この人生において,「『きょうだいというものはどのようなものなのか』を理解する機会が訪れた!」と,喜びました.

映画とか文学とかでもテーマになっている,友情とか恋愛とかと並んで人類愛の一つでもある兄弟愛,一人っ子にはわからないアレ,を知る機会ができた! と思ったわけです.

それと同時に,一人っ子の私に2人の子供の対応ができるだろうか? というあたりが一抹の不安となったのですが,それについては,この時期にイロイロな人々に教わったものごとを参考に方針を立てて進めることにしました

要約すると,

  1. 2人を公平に扱うこと
  2. でも,常に長女を「立てる」こと
  3. うまく行くと「私たちは平等に扱われている・でも愛されているのは私のほうだ」って2人とも考えるようになる

っていう3点になります.

3番目のを目指しつつ,とりあえず2番目は徹底しました.

いちばん難しそうだった1番目のは,じつは意識しなくてもできました.

とりあえず現在までうまく行っています.うまく行くように2人が私に気付かれないように配慮してくれている可能性もあるけど.

正直なところ,今も きょうだいの相手をどうやったら良いのかわからない

うまく行っているものの,正直なところ,2人がいる場面で,2人に同時にうまく対応するのは,今も難しく感じます.1人ずつ個別に対応するのはOKなんだけど.

それから,対応はできても,きょうだいがいる人々の世界を理解できない,っていう状況は変わりません.

理解できなくても毎日が それなりに上手く行っているのは,長女と次女との間に5才の年齢差があるからです.

小1の長女がクラスメートを連れてきてモーニング娘。のDVDを見ながら集団振りコピやってるとき,幼稚園に入る前の次女はとっとこハム太郎がどうのこうのっていう調子だったし,小6の長女が中学受験勉強やってるとき,小1の次女はDSのゲームがどうのこうのっていう調子だったし,互いにコミュニケーションする機会もたいして無く,ケンカも発生せず,それゆえに仲裁の必要もなく,2人の立場を私が同時に評価しながら判断を下す場面がなかったことは幸いでした.

成長してからの2人は,私がきょうだいの対応をうまくできないことを理解して,それぞれ私を困らせないように配慮してくれている可能性もあります(が,そんなのは一切無いかもしれない).

2人が協力して何かをやるようになったのは,長女小6で次女小1の頃です.イヌを飼い始めて,2人で一緒に面倒をみるようになりました.それから,長女が進めているゲームで,クリアするのが難しい箇所を次女にバトンタッチして次のステージに進む,みたいな協力もできるようになりました.

テレパシーみたいな何かがあるんじゃないかって考え始めたのは,この時期です.ますます きょうだいがいる人々の世界がわからなくなりました.

わからない世界があってもよい

次女が生まれた頃,これから理解できるようになるかもしれないと考えた「きょうだいというものはどのようなものなのか」については,18年経過した現在もわからないままです.

わからないんだけど,べつにわからなくても構わないんじゃないだろうか,っていうのが現在の結論です.

この世界のほとんどのものごとを,知ることも,見ることも,理解することもなく,人生は終わります.

きょうだいのいる世界っていうのも,私にとって,その中の一つです.とても近いところに存在している世界なんだけどね.

御礼

2009年から北里大学で働いていて,この大学は女子率5割を超えていて,さらに懇和会とか#キャンナビとか #北里つながろう とかクラス担任(いまは受け持っていない)とか,winK♡@winK_kitasato #unidol とかイロイロなしくみや活動があって,さらにSNSでイロイロな人々とユルく広くつながってるおかげで,2人の娘が十代になってから対応するうえでたいへん役に立つアドバイスをもらうことができたのは幸いでした.

十代の娘はどのように扱って欲しいのかを具体的に説明してくれたWさん,妹や弟に手こずらされながらも頑張る長女は具体的にどのような点を評価して欲しいのか説明してくれたIさんとKさん,長女の決意について説明してくれたEさん,社交的な姉がいる次女の寂しい心について説明してくれたHさん,その他のみなさまにお礼申しあげます.みなさまの人生が幸せなものになることを祈っております.

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www.takahikonojima.net

*1:超能力とか超常現象とかで出て来るテレパシーのことではありません.私はそういうものごとを肯定していません.