ララララLife goes on

興味をもってきたものごとアレコレの記録

映画『ボヘミアン・ラプソディ』は今より良くなって行く未来の社会を想像させてくれる

f:id:takahikonojima:20190223044010j:plain
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て,Queenやボーカルのフレディ・マーキュリー,彼らの音楽についての断片的な記憶と知識だけでなく,彼らの音楽がラジオから流れてきていた1980年代の記憶も含めて,過去から現在までのさまざまなものごとが組み合わさりました.

この映画は,今より良くなって行く未来の社会を想像させてくれます.

ラジオから聞こえてくる情熱的な歌声

1980年代,私が十代だった頃,ラジオからQueenの曲が流れてくることがありました.

キラー・クイーン,伝説のチャンピオン,ウィ・ウィル・ロック・ユー,ドント・ストップ・ミー.ナウ,etc.

当時の私の知る範囲で,もっとも情熱的で魂のこもった歌声を聞かせてくれていたバンドが,フレディ・マーキュリーがボーカルを務めるQueenでした.

この歌声には,どうしても伝えなければならない重要な何かがあるのかもしれない,ということを当時の私は感じていたのですが,その一方でその何かを受け取るために心を開くことはできませんでした.

当時の私は,Queenに対して心理的障壁を高く厚く築いてしまっていたからです.

それは,フレディ・マーキュリーのキャラがあまりにも濃かったためです.

あの人(たち)は何をやっているのか?

インターネットも衛星放送もなく,地上波TV番組,ラジオ,それに限られた音楽雑誌くらいしか情報源が無かった当時の私にとって,Queenというバンドは「国籍不明のナルシストがマイクスタンドを振りまわして何かを熱唱している」というイメージでしか理解できないものでした.

Queenのミュージック・ビデオの中には,フレディ・マーキュリーが身体にピッタリと貼り付くような衣裳を身につけていたり,上半身裸で胸毛を見せながらシャウトしていたり,何を表現したかったのか全身ずぶ濡れで登場したり,という強烈な印象を残すものがありました.

その姿は当時の私からみて,「カッコ(・∀・)イイ!!」とか「俺もマネしたい!」とか「しびれるーっ!」っていうものではなく,逆の方向を向いたものでした.当時の私の語彙を用いて表現するなら,異常で,異様で,危険で,不可解で,不快で,不気味で,恐ろしくて,近寄りがたくて,となります.

こうした状況が,Queenに対する私の心理的障壁を高く厚くしてしまったのです.

ボーン・トゥ・ラブ・ユー

1985年,私が高校2年になったとき,フレディ・マーキュリーはソロ作品として「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」をリリースしました.

16才の私はこの曲に,大空を飛ぶ鳥をイメージしました.

鷹とか鷲といった大きな鳥が翼を広げ,空高く,一直線に飛んで行くイメージです.

視界には地上の世界が高速で流れ去って行きます.地平線の彼方には,この世界でただ一人の最愛の誰かが待っており,そこに向かって魂が「あなたを愛するために生まれてきた!」と叫ぶのです.

その叫びは世界に広がり,地球を何周もし,この世界にただ一人の,最愛の人の心を揺さぶるのです.

そういう勝手なイメージ.

私にそういうイメージを与えてくれる歌を歌うフレディ・マーキュリーはどんな人物なのだろうか,彼はそういう愛を知っているのだろうか,そもそも「あなたを愛するために生まれてきた」などと心から思える愛が世界に存在するのだろうか,そういうことを理解するためにはもう少し大人になれなければならないのだろうか,などということを当時の私は考えていました.

孤独との戦い

何年間ものできごとを上映時間内に収めるため,映画のストーリーは実際の出来事とは異なっている点もありますが,今回は映画が実際をそれなりに「近似」してあると考えることにします.

映画ではフレディ・マーキュリーの孤独にも焦点を当てています.

移民の家庭に育ち,イギリスで暮らす若い頃の彼は,規律正しさを求める親と うまく行っておらず,窮屈だし孤独です.

名前を変え,別人として音楽の人生を歩むことに決め,窮屈な日々からの脱出を図ることに成功し,結婚指輪をプレゼントする仲にまで発展した彼女と出会えたものの,フレディ・マーキュリーが同性愛者であったために家庭を築くには至らず,孤独です.

互いに「ファミリー」と呼び会う4人組バンドのうち3人はそれぞれ家庭を持ち,音楽とは別の方面に人生を展開して行きましたが,それができないフレディ・マーキュリーは孤独です.

同性の「恋人」ができたものの,都合よく利用されていただけだと悟り,アルコールとドラッグと どんちゃん騒ぎで孤独から逃げようとします.

そういう毎日の中でアイディンティティを保つため,人生を肯定するため,フレディ・マーキュリーは歌い続けたのでしょう.

あるときはラブ・ソングとして,あるときはメッセージ・ソングとして,自分が世界に存在することを自分自身で確かめるために歌い,その歌に反応する人々が確かに世界に何人もいることを確かめて,自分自身の人生を肯定していたのかもしれません.

その思いは,歌うフレディ・マーキュリー本人だけでなく,心を開いて彼の歌を聞くすべての人々に,人生を肯定させてくれるものになっていたことでしょう.

未来の世界は良くなっている

映画後半,フレディ・マーキュリーはHIVに感染していることを知ります.クライマックスとなる1985年のライブ・エイドの際,観客は誰も知りませんでしたが,フレディ・マーキュリーはHIVと戦っていました.

フレディ・マーキュリーがHIV合併症で亡くなったときのことを覚えています.1991年,私は大学院生でした.彼がHIVに感染しているという噂は,すでに広まっていました.

当時,HIV感染は死を意味しました.治療法は見つかっていませんでした.1980年代,日本で最初のHIV感染者が見つかったときは,ちょっとしたパニックになっていました.

医療技術はそれから進歩し,2019年の今なら当時のフレディ・マーキュリーを高い確率で治療できると言われています.

世の中が良い方向に進んでいることを教えてくれる一例になっています.

続・未来の世界は良くなっている

映画の中で,フレディ・マーキュリーが髪をカットし,口ひげを整えるシーンがあります.このスタイルは当時のゲイの間で流行していたものだったようです.

身だしなみを整えたフレディ・マーキュリーは,ドラムのロジャー・テイラーに新居を紹介し,「どうだ?」と尋ねます.

それに対してロジャー・テイラーは「ゲイみたいだな」と答えます.

「(俺の姿じゃない!) 家のことだ!」とフレディ・マーキュリーが返します.

ここはちょっとした笑いをとる場面になっていますが,こうしたやりとりを映画の中に組み込めるようになったのは,性的マイノリティに対する理解が進んだ結果だと私は考えます.

10年前だったら,これは同性愛者を揶揄する表現だ,と非難されたかもしれません.

20年前だったら,観客一同は同性愛者を嘲笑する感覚で笑ったかもしれません.

2019年の今,私たちは,むかしの出来事として,ちょっとした勘違いの再現として安心してこうした場面をスクリーンで観ることができます.

世の中にはさまざまな人々がいる,という事実があたりまえになる方向に社会は動いています.

それは誰への愛なのか

「ボーン・トゥ・ラブ・ユー」を初めて聞いた頃のことを思い出しています.

16才の私は,この曲が男から女へのラブソングだと確信していましたが,必ずしもそういうわけではなさそうです.

男から男への愛を歌った曲なのでしょうか?

もちろん その可能性もあります.

今の私は,ここで歌われている愛は,もっと広い意味での愛,人類がもつ普遍的な愛を表しているのではないかと考えています.

それは異性に対する愛なのかもしれないし,同性に対する愛なのかもしれないし,恋愛に限定されない人生のさまざまな場面での他者への愛情や尊重,人間の崇高な行為に対する賛美なども含めて「愛」と表現しているのではないかと思うのです.

そう考えると,16才の頃の私の勝手にイメージ,上空から地平線の彼方に向かって「あなたを愛するために生まれてきた!」と叫ぶと,その声が地球を何周もし,世界に広がって行く,というイメージが再び思い浮かぶのです.世界に広がって行くのは,この世界に存在するさまざまな形の「愛」への賛美なのではないかと私は考えるのです.

その叫びで心を揺さぶられるのは,世界に一人だけの誰かではなく,この歌を受け止められるよう心を開いているすべての人々なのではないでしょうか.

というようなことを考えられるようになるためには,それなりの人生の期間が必要でした.

16才の頃の私には想像できなかった未来に私は暮らしており,16才の頃の私は知らなかった様々な愛が世界に溢れていることも知りました.

十代の頃に築いた心理的障壁も今はありません.

すでにフレディ・マーキュリーよりも長い人生を過ごしている今の私は,ラジオから流れてくるQueenの曲を,素直に受け止めることができます.

こういう人におすすめしたい

この映画は,フレディ・マーキュリーが活躍中だった頃を知っている世代から,彼が亡くなった後に生まれた世代に至るまで,幅広い世代に大人気の作品となりました.

上映期間延長に次ぐ延長で,現在も公開されているこの映画を,私は,「特にQueenの音楽を好んで聴いていたわけでもなかったけれど,1980年代を振り返ると,ところどころにQueenの音楽があったよね」という人々におすすめします.