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調布飛行場の掩体壕を保存する会

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野川公園にて開催.この会のメンバーであるKさんに誘われて参加.40名程度が参加.発掘調査の責任者,航空ジャーナリスト,学芸員,からそれぞれ最近の研究成果が発表された.

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昨年の秋に調布飛行場敷地内で発掘された,旧日本軍戦闘機のプロペラ.

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プロペラ近くに埋められていた,戦闘機の戦闘部分部品.

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「掩体壕大沢2号」の外観

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「掩体壕大沢2号」の内部.特別に立ち入らせていただいた.

この掩体壕が作られた1944年,物資が不足していたため,コンクリートの混合比を極限まで下げた材料が用いられた.手で触ると砂が落ちてくる.非常に脆いつくりになっている.

物資も時間も余裕がなかったため,型枠を使わない工法が取られた.まず土で山を築き,布もしくは紙で覆い,その上から鉄骨とコンクリートで本体が作られた.コンクリートが固まった後,土の山を掘って取り除き,掩体壕とした.

鉄骨も物資不足の時代だったため,様々な太さの材料がかき集められて組み合わさって用いられていることが,最近の調査からわかったという.

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飛行場敷地を取り巻く用水路.1939年完成.最近の調査により,モルタルや石を標準量以上に用いてていねいに作られたことがわかった.

1939年に飛行場をつりはじめた際には物資にも時間にも余裕があり,用水路にまで十分なリソースを割くことができたが,その5年後には戦闘機を守るための掩体壕でさえ十分な物資でつくることができなかった.この5年間に戦局が不利になって行ったことがよくわかる.

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